こんにちは。スズキ家の姉でーす。岩槻のおばあちゃんと一緒にさいたまトリエンナーレに行きました。芸術のことはよくわからないけど、がんばって出かけました(笑)。
岩槻の駅前から無料のシャトルバスに乗って旧民族文化センターへ。バスを降りると、カラフルな七夕飾りの短冊みたいなものがひらひら揺れていました。小さな子どもたちは、いろんな椅子に座ったりして遊んでいたけど、私は恥ずかしかったので見ているだけ。座ってみればよかったかな〜。
「ここからは撮影禁止」そう言われた壮大なアート。この看板の先には、「ここだからある」自然や、日の光が「このように」差し込む場所。そういった「この街のこの場所」を材料に作れらたアートが広がっていました。外に作られた作品。その一部では靴を脱いで進みました。何があったのか気になりますよね〜。だけど残念!この作品、詳しいことは教えちゃダメなんだって。(ごめんなさい。)
さいたま市で初めて開かれる国際芸術祭「さいたまトリエンナーレ2016」。日常の中で見えにくくなっている大切なことや、気づいていなかった可能性、隠れていたつながりなどに光を当て、人それぞれが自分の生活の現場から未来を発見するきっかけとなるようなアートプロジェクトをまちのあちこちで展開する、というものなのだそうです。
私が行った岩槻の会場でも、普段何気なく見ている当たりまえのものを再確認させてくれたり、こんなものがあったっけ、と気づかせてくれるような作品とたくさん出会いました。
日本人にとっては当たり前の畳。「言葉の適応、部屋の適応」というテーマのもと、多文化・多世代の女性たちが「居間」を作り上げたというこの作品「アダプテーション」には、様々な模様の「畳の縁」が使われていました。一枚一枚の生地が一人ひとりを意味し、異なる文化や言語、文脈をもつ人たちが共に暮らす時に起こる葛藤や適応、ズレを表現しているのだそう。
アートがよくわからない私は、これをどう見たら良いのかわからなかったけど、異なる生地で飾られた畳も、それを敷き詰めた部屋も居心地は良く、不思議と調和してるなあと感じた。うん。でもよくわからないです(笑)。
街をカラフルに彩る洗濯のアート「感覚の洗濯」。さいたま市の風景を再現しているらしく、それも楽しかったです。よくできている可愛い模型にも驚きました。
シャトルバスに乗り岩槻駅まで戻り、別の作品も見ました。アーティストが一定期間泊まり込んで創作活動をするという「ホームベース・プロジェクト」というもの。国際的なアーティストと会って、おしゃべりができたりするのもステキです。
「3年に一度」という意味のイタリア語「トリエンナーレ」。
次はどんな作品に出会えるのかワクワク。次は、もっともっと楽しめるように「アート」について勉強しておきます♪
【この記事に関連するリンク先一覧】
・さいたまトリエンナーレ
https://saitamatriennale.jp/ (さいたまトリエンナーレ2016)