見沼たんぼに位置するさぎ山地区で、原風景を次世代に残したいとの想いで活動している「ファーム・インさぎ山」代表の萩原さとみさんは、訪れる人々に農作業や農家暮らし体験、また、交流のある団体や自然の造形を活かした作品作りに力を注いでいるアーティストらのさまざまなイベントに場所を提供しています。
今回は、さぎ山の自然を眺めながら、落ち葉をかき集めて焚火をしている萩原さんにお話をお聞きしました。
「震災の時もコロナ禍でも、ここでの暮らしぶりは変わらない。何もなくても生活できる」と語る萩原さん。「自然」や「農」とともに暮らしてきたという話の中に、興味深いキーワードがたくさんありました。
萩原さとみさん
江戸時代から10代続いている農家に嫁いで、この地域の自然を守り、良さを伝えてきました。3年前にご主人が病気で他界されたので現在は二人の息子さんと協力しながら農作業や農家体験を提供し続けています。萩原さんの根源にある想いや「農のある暮らし」の魅力や価値をお聞きしました。
―――「ファーム・インさぎ山」と名付けたのはいつですか。
25年ほど前から「かあちゃん塾」と称して農業・農家体験を提供しています。このさぎ山地区は、江戸時代には鷺が多く生息していたので「さぎ山」と呼ばれ、徳川家の鷹場にもなっていました。その景色とともに「さぎ山」という言葉を残したくて、平成9年に「ファーム・インさぎ山」と名付けました。
ここには江戸時代から変わらない原風景があります。それを次世代に残したいと願っていた夫の意志を継いで、この場所で何ができるかを考え、みんなの原点であり、ほっとする空間となるような自然を残し、自然と共生する暮らしについて伝えていきたいと思っています。
―――どのような活動をしているのですか。
季節ごとに田んぼや畑の農作業の体験や餅つき、しめ縄づくり、味噌作りなど、農家暮らしの体験を提供しています。県内外の保育園・幼稚園児、小・中学生の農業体験の受け入れ、一般の人が参加できるイベント開催、そして農作業と毎日大忙しです。
埼玉トヨペットでは、社会貢献事業の一環として「障がい者の方にも田植え・稲刈りをやらせてあげたい」との目的のもと、10年以上も続けてファーム・インさぎ山に農業体験に来ています。
―――学校の農業体験も受け入れているのですね。
そうです。はじめは、ある中学校の生徒さんが農業体験に来ました。自ら下調べをし、ここで体験したことをレポートにまとめるという取り組みを先生方といっしょに実施しました。
翌年、都内で荒れて授業が困難な中学校の校長先生のご要望で、子どもたちに「土に触れ、農に係わり活動させる」という取り組みを共に行いました。その後は埼玉県警との取り組みで「立ち直り支援」「居場所づくり」として農業体験の場を提供しております。
来たばかりの子どもたちは、あいさつも小さな声で、ボソボソとしゃべるだけ。受け入れる私たちもどう対応したら良いのか迷いました。でも、あの子たちは若くて力があるので、手伝ってもらうと、こちらも助かることがたくさんあります。今まで褒められたことがなかったのでしょうか。「ありがとう、助かったよ!」と声をかけると、子どもたちの表情がどんどん変わっていきました。荒れていた学校も現在は落ちついているそうですが、今も続けて来てくれています。
また、幼稚園や保育園の子どもたちも来ます。うどん作り、ピザ焼きなど保育士さんたちも乗り気で楽しそうです。雨の日はカッパを着て、泥だらけになりながら喜んで作業をしていますよ。
―――自然の中で体を動かすことが良い効果をもたらすということでしょうか。
「自然の中で主体的に働くから良い効果が生まれる」、確かにそうですね。その結果、褒められるとうれしいし、「自分にもできた」という充実感が生まれるのだと思います。
教育委員会との取組みで、10校ほどの特別支援学級の体験も受け入れています。主に、里芋の収穫や田んぼの作業をしますが、収穫した作物は、その学校の給食の食材に使われます。今日の給食の材料がこのクラスのみんなで収穫したものだと校内で放送されると、自分たちの力を発揮したことが誇らしく感じ、その繰り返しが自信につながっていくのではないかと思います。
―――ところで、萩原さんは農家の生まれですか。
はい。白岡の農家で生まれ育ちました。親戚に教職関係が多かったので、高校生の頃は学校の先生になりたかったのですが、父が病気になったこともあって、進学を断念しました。料理が好きだったので、調理師か栄養士になろうと思った時期もありましたが、結婚が決まったので諦めました。
―――子どもや生徒さんたちへ教える意欲も、その思いが元になっているのですね。
大学に行けなかったこともあって、このままでいいのか?と不安を感じて、29歳から33歳まで、東京農大の通信教育で学びました。卒論は、「これからは、農業は農家だけでは守れない、都市と農家の交流によって守らなければいけない」という内容を書いて、良い評価をもらいました。
その後も何度かヨーロッパを廻って「グリーンツーリズム」に触れ、学びました。
―――「農家」に対するイメージは、日本とヨーロッパで違いますか。
ヨーロッパでは、農業が都市の食生活を守っているという意識を強く持っています。パリは、その郊外100km圏内の農業を資金面でパリ市民が守っているのです。
「農業を守る」ということはどういうことか、どんなに大変か、みんなで考えなければいけない問題です。
ここ、さぎ山地区はかつて、しらさぎが1万羽近くいたそうです。昭和30年代に強い農薬を使っていたことで、昭和47年には、姿を現さなくなってしまいました。だから、うちは無化学肥料にこだわっています。私たち農家には、農業を通して多くの人の食生活や健康、環境などを守っているのだという意識が必要だと思います。しかし、自然と共生することの大切さは農家だけの問題ではありません。それを多くの人に伝えていきたいですね。そう、ヨーロッパの農業のように。
―――先ほどから、作業を続けていらっしゃいますが、焚火にタイミングよく落ち葉を入れていることに気がつきました。何気なくやっていることにもコツがあるのですか。
昔からやっていることですから...。
こうしてできた灰は、ミネラル分が多いので、畑の良い肥料になるのですよ。体験に来た子どもたちに、灰を水で溶いてリトマス試験紙を使って色が変わる実験を見せて、科学を教えることもあります。昔の人は、科学を知らなくてもちゃんとわかっていたことです。まさに「生活の知恵」ですね。
うちに研修生として手伝いに来ている女性は、大学院で物理の博士号を取った人なので、このような実験で説明するのが得意です。そんな彼女も自分の持っている知識が、生活とつながっているのだということを、ここに来て初めて気がついたようですよ。
農家の暮らしは、作業だけではありません。生活のなかで全教科を教える、いわゆる「実地の生活科」なのです。
調理師を目指している学生も体験に来ます。薪拾い・かまど作りから始めて、火を起こしてご飯を炊きます。彼らは「このご飯が一番美味しい」と言いながら食べます。それこそ、学校内ではできない貴重な経験です。
―――今後は、どのようなことを伝えていきたいですか。
無化学肥料によって「食の安心・安全」を実践したり伝えたりするのはもちろん、さまざまな農業体験を受け入れることで「教育」、「福祉」にも力を注ぎたいと思っています。
また、「環境問題」については、落ち葉もゴミではなく資源であること、柿渋作りやしらさぎのことも環境とつなげて伝えていきたいですね。
うちのおばあちゃんが97歳まで生きられたのは、ここでの暮らし・食生活に起因していると思うので「予防医学」も探っていきたいテーマです。
そして、この地域を訪れる国内外の方々に対して「観光」の観点で、自然の中でおもてなしができればと思っています。
そして、最後は「アート」も。雑木林やさぎ山の景色はアーティストの意欲を高める力があります。ここでしかできない作品の展示に場所を提供していきたいです。
―――イベント「野良の藝術」こそ、さぎ山ならではの「アート」ですね。
はい。アーティストたちがこの風景を活かして作品を展示しました。間伐材で炭焼きも行って、とても良い炭ができたんですよ。
以前に私も、木と木の間に紐を張って、自分がコレクションしていた着物を吊るして展示したことがあります。風景と相まって良いおもてなしになりました。
―――農家暮らしをとおして、たくさんのことを伝えたいとおっしゃる萩原さんのエネルギーの源は何でしょうか。
皆さんが情報を持ってきてくれるから企画が生まれます。それを実施することによって少しでも喜んでもらえると、私もうれしいし、楽しいんですよ。自分でやるのは難しいと思うことは、できる人や専門家を探して手伝ってもらえばいいのです。
子どもたちが来て、木登りしたりキャーキャー騒いだりしているのを見ていると、楽しくて元気をもらっている気がします。それらが元気の秘訣にもなっているのでしょう。
ありがたいことに、いろいろなところで皆さんと出会ってきたことが、お金では買えない大きな財産となっています。
―――コロナ禍やアウトドアブームの影響で訪れる人に変化はありましたか。
毎年、季節ごとのイベントや体験に訪れる人はたくさんいます。東日本大震災のあと、訪れる人は増えてきました。自給自足、地産地消に興味を持ち、価値に気がつきはじめた人が増えたのではないでしょうか。
都心から1時間で来られる場所で、換気やディスタンスを気にせずに過ごせる環境がここにはあるのです。
―――浦和美園駅ができたことで、より都内からの近さを感じます。住宅やマンションも増えたので、ここでの体験は小さなお子さんのいる家庭にもおすすめしたいですね。
チラシを配るなどの告知はしていませんが、これから体験やイベントに参加する人は増えるでしょう。農作業や農家体験はお子さんだけでなく、親子で楽しみながら学べると思いますよ。
―――この地域の魅力とそれを活かした暮らしについて、萩原さんの考えを教えてください。
ここは、歴史があるまちです。岩槻へつながる日光御成街道もあります。何代も続く農家が守ってきた見沼たんぼもあり、この地域は魅力がいっぱいあります。この場所を見て、体験して、この場所で収穫したものを食べてください。それが最高のおもてなしになるということをヨーロッパの「グリーンツーリズム」で実感しました。
私は、ゆったりと気負いなく暮らしています。何もいらない。ある意味、そんな生き方が「最先端」となる時代が来るのではないでしょうか。自然の力は大きいです。先人たちは、自然と共生してきました。自然を活かした暮らしをするために、農家だけではなく、みんなで守っていくことが必要です。
萩原さんは、作業を続けながらたくさんのエピソードを話してくださいました。
現代の生活を強い言葉で批判するのではなく、常に笑顔で大事なことをしっかりと伝えようとする口調に感銘しました。「ありのまま、気負いなく生きる」とおっしゃった言葉が、萩原さんの生き方を象徴しているのだと思います。
季節ごとに農体験のイベントも開催されます。萩原さんの話を聞いて、農家暮らしを体験することで、自分の生き方を改めて考えるのも良いのではないでしょうか。
さぎ山のほっとする風景の中には、樹齢100年、200年の柿の木があります。さらに100年、200年と、この景色が続いてほしいと思います。そのためには何が必要か考えるきっかけを萩原さんは教えてくれるでしょう。
自然そのままの場所ですから、決してバリアフリーではありませんが、みんなが同じことをする必要はない、その人が今できることを精いっぱいやる、そんな体験ができる場所。精神的にも身体的にも境界線の無いボーダーレスな場所が「ファーム・インさぎ山」にあると感じました。
・ファーム・インさぎ山
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・見沼たんぼのホームページ
http://www.minumatanbo-saitama.jp/
・埼玉トヨペット(はあとねっと輪っふる)
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