希望(ゆめ)を未来へつなぐ道 浦和美園ー岩槻地域ガイド

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浦和美園~岩槻 暮らしの日記帳

岩槻の魅力を再発見!

2015.03.06

こんにちは。スズキ家の父です。いい機会だと思い、夫婦そろって「岩槻観光ウォーキングツアー」に参加しました。岩槻のことはいろいろと知っているつもりではおりましたが...。いやぁ、まだまだ知らないことがたくさんありましたねー。

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受付を済ませ、10時にスタート、とその前に。岩槻観光ボランティアガイド会のガイドさんに連れられて駅前の時計に注目。からくり人形の時計だったんですね。知らなかった...。今日は、そういう驚きがたくさんあるのでしょう!期待して、スタートです。

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住宅街を抜けて、まずは「愛宕神社」へ。社殿は、戦国時代に豊臣徳川の連合軍の攻撃に備えて作られたという「岩槻城大構え」の上に建てられているとのこと。岩槻城大構えは、岩槻城とその城下町をすっぽりと囲んだ全長8kmにもおよぶ土塁だったそうです。あの高さの土塁が、岩槻のまちを守っていたんですね。

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上の地図の大部分が大構えによって守られていたのだそうです。大規模だなぁー。

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続いて、岩槻人形の祖と言われる橋本重兵衛の墓がある大龍寺、「槍返しの門」の伝説がある「快楽山(けらくさん)」の額を掲げた門を構える浄安寺へ。「槍返しの門」とは、8代将軍吉宗の一行がかつてこの門があった田中口を通ろうとしたところ、「槍がつかえるから屋根を壊せ」と命令。そこでひと悶着。それを見ていた吉宗が「槍倒して通りなさい」と言ったことから「槍返しの門」と呼ばれるようになったのだそうです。浄安寺の山門は、この門を移築したもの。ふーん、なるほど、なるほど。

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さて、この写真。浄安時の脇から延びる道なのですが、実は「武州鉄道」が通っていた跡なんだそうです。武州鉄道は1924年(大正13年)から1938年(昭和13年)の間、今の蓮田市から岩槻を経て川口市の神根駅までの16.9キロメートルを全14駅、全区間42分間で結んでいた鉄道だそうです。その名残、言われてみれば確かにありました。蓮田駅近くでは、今でも線路跡が見られるそうです。

岩槻観光ウォーキングツアー、その後も見どころ満載でした。
寛文11年(1671年)に岩槻城の鐘楼として設置された「時の鐘」。今でも午前と午後の6時には澄んだ音を響かせています。

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県内で唯一残る藩校跡「遷喬館(せんきょうかん)」。岩槻藩に仕えていた儒者「児玉南柯(こだまなんか)」が開いた私塾で、後に藩校となりました。今の建物は解体復原工事を経て開校当時の姿に戻し、平成18年より公開されているものだそうです。

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岩槻の蔵元「鈴木酒造」へも立ち寄り、今の時期ならではの生酒の試飲もしました!

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2時間歩いてお腹もすいて、参加者の皆さまとの昼食。
老舗の料亭のお弁当は豪華で、美味しかったなあー。

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ということで。

岩槻のまち。大通りから一歩入ると、城下町特有の狭い路地「○○小路」が今も残り、風情がありました。今さらながらと軽い気持ちで参加した岩槻ウォーキングでしたが、夫婦でおしゃべりしながらの街歩き、楽しかったです。次は、子どもたちも連れて別のコースに参加してみようかなと話しています。

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